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2021/08/20 10:00

「江戸時代に現代のスポーツをがあったら。表現したらどのようになるのか。」を考え、京うちわを制作いたしました。
京都の夏の風物詩の1つでもある京うちわで、江戸時代にタイムスリップ。


 

スポーツ京うちわコレクションスポーツ京うちわコレクション

京うちわ・京丸うちわ・深草うちわの老舗の小丸屋ならではの職人の技術を用いて、「もし現代のスポーツが江戸時代にあったらという思いをめぐらせ、思わず、くすりと笑みが溢れ、和むような」京うちわを新たに数量限定で発売いたします。

京うちわ ウェイトリフティング京うちわ ウェイトリフティング

例えば、ウェイトリフティングの力士のモチーフ、江戸時代に流行った歌舞伎の登場人物である朝比奈三郎義秀。演目の中では非常に勇敢な戦国武将として描かれています。

「江戸時代にウエイトリフティング競技があったら、どのようになっていたのでしょう?」
当時の力自慢といったら、やはり力士。そんな力士たちが相撲とは別に己の力試しに出場していたのでしょうか?

そんな想像を膨らませながら、制作をいたしました。
様々な創造を膨らませながら本作品をお楽しみ頂けたら幸いです。
 

小丸屋住井ならではのユニークな発想から生まれた思わくすりと笑みが漏れる京うちわをご覧いただいて、
心が和む時間になれば幸いです。

 

スポーツ京うちわ商品一覧

京うちわ スケートボード京うちわ スケートボード


京うちわ スケートボード
¥19,800

江戸時代にスケートボード競技があったら、どのようになっていたのでしょう?
背景のモチーフになっているのは、葛飾北斎『富嶽三十六景』の『尾州不二見原』。
『桶屋の富士』とも呼ばれています。
現在の愛知県名古屋市郊外、富士見原を描いたもので、遊郭や武家の別宅が存在する名勝地として知られていたそうです。
このスケートボードのパークは、その桶屋が作ったのでしょうか?創造を膨らませながら本作品をお楽しみ頂けたら幸いです。

 





京うちわ サーフィン京うちわ サーフィン


京うちわ サーフィン
¥ 19,800

江戸時代にサーフィン競技があったら、どのようになっていたのでしょう?
そんな想像を膨らませながら、制作をいたしました。

背景のモチーフになっているのは、葛飾北斎『富嶽三十六景』の『神奈川沖浪裏』です。
横浜本牧沖から富士を眺めた図と言われておりますが、その場面にサーファーがこんな感じだったかも?

様々な創造を膨らませながら本作品をお楽しみ頂けたら幸いです。








 

京うちわ 競技各種京うちわ 競技各種


京うちわ 球技各種
¥ 19,800

江戸時代に球技各種の競技があったら、どのようになっていたのでしょう?
そんな想像を膨らませながら、制作をいたしました。

バスケットボール・ハンドボール・バドミントン・テニス・バレーボール。
選手の表情や躍動感もさることながら、応援している観客の声援も聞こえてきそうではありませんか?その当時には、どんな声援で選手を応援していたのでしょう?
様々な創造を膨らませながら本作品をお楽しみ頂けたら幸いです。
また、各選手の衣装(ユニフォーム)にもこだわり、ユニフォームの一部に各競技のボールがデザインされています。



 





京うちわウェイトリフティング京うちわウェイトリフティング


京うちわ ウエイトリフティング
¥ 19,800

江戸時代にウエイトリフティング競技があったら、どのようになっていたのでしょう?
そんな想像を膨らませながら、制作をいたしました。

当時の力自慢といったら、やはり力士。そんな力士たちが相撲とは別に己の力試しに出場していたのでしょうか?
ちなみに、作品の力士のモチーフは、江戸時代に流行った歌舞伎の登場人物である朝比奈三郎義秀。非常に勇敢な戦国武将として、描かれています。

様々な創造を膨らませながら本作品をお楽しみ頂けたら幸いです。

 

 







 

京うちわ ラグビー 京うちわ ラグビー

京うちわ ラグビー
¥19,800

江戸時代にラグビー競技があったら、どのようになっていたのでしょう?
そんな想像を膨らませながら、制作をいたしました。

蹴鞠は、平安時代から宮中において盛んにおこなわれ、鎌倉時代には武士階級でも、その後江戸時代に入ると徐々に一般庶民まで普及していたそうです。

その蹴鞠の一種として、ラグビーが宮廷文化の中で育まれ、行われていたのかもしれません。
様々な創造を膨らませながら本作品をお楽しみ頂けたら幸いです。


【うちわサイズ】
小丸屋型 縦約27cm 横27.5cm 、全長約41.5cm
裏:白無地
日本製:制作は全て京都で行っております。
※注:手作業で制作をしているため、製品ごとに多少の差が生じることがございます。

祇園祭の時期になると京都の花街では、夏のご挨拶に芸妓さん・舞妓さんがお得意先様へ名入りの京丸うちわを配る風習があります。

  • 株式会社小丸屋住井について

 

小丸屋住井の歴史は、千年以上と推測され、代々口伝によりそれが伝えられてきました。
当時、公家であった住井家は時の帝より「伏見深草の真竹を使い、団扇作りを差配せよ」との命を受け、深草の地の人々を動かし、天正年間(1573~92年)に「深草うちわ」を確立しました。
江戸時代に入ると団扇や扇子文化が開花し、この京都伏見の「深草うちわ」が全国的に名を馳せました。四国にて有名な「丸亀うちわ」や岐阜市の工芸品である「岐阜うちわ」も元を辿れば小丸屋の先祖がその地に伝えたものです。住井家と歌仲間であった瑞光寺開祖・元政上人が考案された「元政型深草うちわ」など、当時より多くのうちわが愛用されていた記録が残されています。
以降、舞扇子や夏扇子、手ぬぐいなども取り扱い始め、京都五花街の芸妓・舞妓さんの名入れ「京丸うちわ」も登場します。
また、代々芸事には造詣が深く、日本舞踊のかづらや衣装、小道具なども多く所有していたため、戦後には「小丸屋小道具店」を始め、全国に名が広まったこともあり、時代の流れと共に衰退の一途をたどる団扇文化も現在まで守り続けられております。
今日では、京都の春の風物詩「北野をどり」「都をどり」「京おどり」「鴨川をどり」の舞扇子や舞台小道具を担当しており、また日本全国の各流派師匠の舞踊会の小道具、狂言とつけ打ちをし、裏方として舞台を支え続けております。
先人より引き継いだものを次の世代へと引き継ぎながら、京都の文化を世界へと発信しています。

  • 小丸屋住井の熟練した職人が丹精込めて作るうちわ作り(工程は、京丸うちわ)

うちわ作りは、竹の骨を検品することから始まり、骨に地紙を貼る「貼り」や、紙を刷毛でなでて糊をなじませる「撫ぜ」、扇面を丸く整える「うちきり」、骨に沿って地紙に筋を入れる「筋入れ」などの工程を経て一本のうちわが完成します。